看護診断って言葉を聞いたのが,今から約20年程前でした
.医学書院のある編集者と居酒屋にいった時,彼がもっていたのが,出版企画のゲラ刷りでした・「アメリカに看護診断」って動きがあって,その書籍を邦訳して出版するということでした.
当時,看護専門雑誌にやたらと「看護診断」って表現が使われるようになった頃でした.
ある雑誌の中木高夫先生のコラムに「聖路加国際病院では,看護診断って言葉を使うと医者がなんや看護婦が・・って抵抗を示すので,看護診断っていわないで,英文をそのままNursing diagnosesって言っているらしい」ってことが書かれていたりしました.
僕もなんだかよくは分かりませんでしたが,「失禁だとか便秘だとか」「セルフケアだとか」「不安だとか」の診断名が書かれていて,その定義と定義上の特性や関連因子がひとつに纏められていました.
その翌年になって,『Linda・J・carpenito 看護診断ハンドブック』が出版.また別の出版社からは『M・Gordon 看護診断』が出版されました.
それまでの看護理論書は,ある一人の看護理論家によって著されたものが,次々と翻訳出版されていた時代でしたから「なるほど,看護診断も誰かが看護理論から看護問題を導いて,問題ラベルをつけたのだ」と,てっきりそう思っていました.
そして,その翌々年になって『NQANADA看護診断-定義と分類1992-1993』が出版されました.
そうか「看護診断にはNANDA・カルペニート・ゴードン・キム」って種類があるのだと思っていました.
そんな時「医学書院サウンダース」っていう出版社が1983年に翻訳した『看護診断』って図書を入手しました.
そこには,北米看護診断学会が全米看護診断分類会議を1973年から設立して,1982年までの経緯と看護診断に対する論証が書かれていました.
なんだ「NANDA」っていう組織の活動は,いままで臨床看護婦が「患者の看護問題」として,「看護計画に記載していた問題」を,それが看護の範疇かどうかを検証する組織で,その成果を「NANDA看護診断定義と分類」として社会に発表していたのだと分かりました.
「じゃあ,カルペニートやゴードンの看護診断はなんだ」って疑問も起こりましたが,その疑問が解けたのは,それから随分と年月がたってからでした.
とにかく本流は「NANDA看護診断」ということなんだということで,当時,松木光子先生が主催しておられた「看護診断研究会」に参加しました.その研究会はまもなくして「日本看護診断学会」となり,入会にはその学会の評議員の推薦がいるというハードルの高い組織になっていました.
そこで,死の臨床研究会等で知り合った,当時,聖路加国際病院看護部長のの井部俊子さんに推薦を頂いて,やっと入会することができました.
看護診断はきっと日本の看護を変えると信じていました.
看護計画は「標準看護計画」という,病気の看護の仕方を書いたものが主流でしたので,患者さんの様々な看護の問題を,PES(寄与因子+症状や徴候+看護問題ラベル)で観察して,看護計画を記載できるように学問が発展したと喜んでいました.(鷹)
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