1970年代の日本の看護計画


看護計画は入院している全ての患者さんに,入院中に行なう看護のケア計画を立案し,それを入院記録に書き記すことです.
この計画の内容は,時代とともに変化してきました.それはおそらく看護という職業の学問的発展が,それに影響を及ぼしたことは事実です.そしてこの学問の多くはアメリカの看護学を基盤にして(多くは看護理論)発展してきたのです.

1972年に医学書院から出版された「看護記録の実際(編著:幡井ぎん)」によると,その当時,チームナーシングが盛んで,一人の患者さんを複数のナースが担当するので,その便宜性を考慮して,ビジブルブックというカード形式の用紙(カーデックス)を用いて,そこに看護ケアに必要な情報を書き込んで,共通の情報源として用いていました.看護計画もそのカーデックスに記載されていましたカルテには看護記録1号用紙と熱型表,そして看護経過記録が最低必要な様式として存在していました.

カーデックスの看護計画は,まず「看護目標」という欄があって,そこに入院中の看護の目標を記載することになっています.
そこ看護目標を読んでみると,どうも目標の焦点が曖昧です.「身体の負担にならないように生活面の援助」とか「体力の改善を図る」とか,なぜそのような目標が,この患者に必要なのかさっぱりと理解できないものが多いようです.

次に「看護上の問題と対策」を記載する欄があって,継時的に問題が発生したときに,それを記載して,ケアの対策が書かれていました.この看護上の問題の多くは,病気の治療に関しての問題で,①ヘモグロビンが低下して貧血がある,②術後の肺合併症の危険性があるとか等でした.

この時代には,看護の問題は,不明瞭で,医師の病気の治療に関してのケアの計画が中心だったようです.ですから,カーデックスには「医師の治療方針」を記載する欄があって,この治療方針に基づいてケアを行なうことが第一義で,その方針に基づいて行なうべきケアを看護計画として記載していたのです.

 
  アメリカ看護学の批判的論考としての「科学的看護論」


一方では,1974年に出版された「科学的看護論(薄井坦子著)」は,徐々に日本の看護教育界で流布していきました..1980年代になると,薄井先生の著した本著は,日本における看護教育のバイブルとして崇拝する看護教員の方たちによって,教師から学生に伝授されていきました.
本著には「アメリカ看護界の理論的な弱点はプラグマティズムの土壤が生んだものであり,経験主義の城を脱するためには,看護実践から理論をたぐりとってくる思考の訓練を重ねる以外にないといえよう(後略)」(科学的看護論第3版.日本看護協会出版会.p27)と確信的な文面も記載されています.
そして,日本の看護界の指導層もそのアメリカ看護論の影響を受けているとも書かれています.
注)プラグマティズム:実用主義、道具主義、実際主義とも訳される

本著の『目的論』の章には,「看護とは生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整えることができる」とし,看護婦はどんな小さな行動にも三つのレベルの目標を満たそうとする取り込みが必要だという.
1)健康を守るすべての職種に共通な目標→健康状態を好転させるための援助
2)看護婦が特に果たそうとしている目標→特殊な生活過程を安楽に過ごさせるための援助
3)個人に直接さたらきかける目標→その人の個別名認識を尊重した援助
の三つの目標です.(同著.p33)

本著で,もっとも哲学的といえる箇所は,「「人間はヒトという生物であるということ」と「人間社会のなかでつくりくつられる生活体としてのあり方」の統一体であるということだという.
この「生物体」「生活体」の両側面の統一は,人間を全人としてとらえることになるというのです
生物体は,生活現象のなかで,活動・睡眠・食・呼吸・排泄・清潔・衣・性と精神活動で相互に結ばれている存在として現されています.また生活体は,個別的な生活現象としています.

≪認識≫看護とは=生命力の消耗を最小限にするよう生活過程を整える→学習の方向=健康の法則を学び,よい状態の条件を知る→≪表現≫看護技術=生命力を妨げるものを取り除くという「看護観と看護技術の連関」を示唆してもいます.
このような論理から,基礎看護学教育の基本技術を次のように整理しています
1.看護場面における共通な基本技術
1)コミュニケーション技術
2)観察技術
3)記録・報告技術
4)看護過程展開の技術
5)安全を守る技術
6)安楽と効率を高める技術
2.生活過程を整える看護技術
1)生命を維持する過程(循環・体温・呼吸)
2)生活習慣を獲得し発展させる過程(運動・休息・食・排泄・清潔・衣)
3)社会関係を維持発展させる過程(労働・性・環境)
3.診療・治療をたすける看護技術
1)診療と看護(診察の介助・死後の処置等)
2)検査と看護(採血等)
3)与薬と看護(経口与薬等)
4)手術と看護(剃毛・包帯法等)
5)リハビリテーション看護
6)その他の治療処置 (同著.p68-69から一部引用)

で,時代はそれから大きく変わってきました.本著が著されたのは1997年(第3版)で,この一覧は1978年当時のものですから,既に30年が経過しています.

看護計画については,「第3章実践編」の「科学的な実践への取組み」のその例が記載されています.
その看護計画は三段階に層別しています.
一階層:上位目標
二階層:中位目標
三階層:下位目標
注)階層という表現は本著では用いていません
まず,上位目標を決定するのですが,その内容は看護師の価値観や看護観(こういう表現は厳密には的確ではないでしょうが)で決定されることが特長のようにも思えますが,上位目標にしたがって「表象レベルの目標」として,上位目標を達成させる手段を記載します.そして,その手段にしたがって,「現象レベルの目標」として具体的な患者の手段(或いはケアの方法)を記載します.

次に,この上位目標はどこから見出されたのかという疑問がおこってきます.
まず,
1.対象(ここでは患者さん)の生物体としての必要条件を把握する
1)(健康状態を把握して)対象の障害された機能を把握する
2)障害された機能が回復過程をたどるために必要な条件を把握する
3)その機能が障害されたことから生じる問題を把握する
そして,その条件というと,
①酸素消費量を最小にして回復力を高める,②障害された部分に刺激を与えるとともに機能低下を最小にする,③障害されていない部分の機能低下を防ぐための手段をとる,④働きかけをを通じて精神活動の回復を図る,⑤家族の心身の過労や経済的な負担が対象の回復に影響するので対策が必要(同著p158-162要約)
2.対象の日常生活の規制を把握する
3.対象の生活体としての反応を把握する
(例1:酸素吸入等をしている患者さん→手が顔面のほうに動くことがある→酸素吸入の必要性を認識できないと予想されるので保護する必要がある)
(例2:良肢位の固定がずれていることが度々ある→良肢位の意味が家族に理解されて以内のではないか?)
4.以上から対象の生命力の消耗を最小にするために何が必要かを判断する(同著p163-165要約)

これらの条件から次のような看護計画が立案された(その一部を同著p166から一部引用)
【上位目標】
Ⅰ悪化させない
【中位目標】
呼吸をととのえる
【下位目標】
①手がカテーテル(経鼻カテーテル?)に届かないようにする
②顔面を横に向ける.唾液はガーゼでふき取る
③胸隔を広げて他動的な深呼吸をさせる
④カテーテルの交換は8時間毎に行なう
⑤喘鳴の激しいときは吸引する(他略,同著p167から一部引用)

看護計画が,看護独自のケアの問題の対策を記述するものであることは言うまでもありません.計画したケアの実施で患者が問題の改善に至るための看護計画です.この「悪化させない」という上位目標に対して,中位目標では次の項目も記載されています.
・呼吸をととのえる(上記に記載)
・栄養をととのえる
・炎症予防
・体位をととのえる
・変動の早期発見
です.これらの中位目標でこの患者さん(37歳の主婦・心臓弁膜症で治療中に脳梗塞と脳血栓を発症し意識は不明瞭で,うなり声を発したり,失禁がある.右半身の強直性痙攣が時々ある.体温は38.5度前後で,経管栄養と持続点滴,酸素吸入を行なっている)の病気を「悪化させない」という看護計画は,果たして・・・・・

ここからは,このページを読まれた貴方自身に考えていただきたいのですが,僕は時代背景から考えて,まだ看護独自の問題は何かという論点に到っていなかったのではないでしょうか?

疾患別看護という表現方法が用いられ,臨床で観られる病気の治療の一旦としての看護ケアの手技を纏めた看護計画書の図書も出版され,「あなたんとこは吉武式なの?それとも薄井式なの?」って会話が交わされたのも,1970年代の看護界でした.
そして,その後「標準看護計画」の取組みが盛んになりましたが,病気の治療のケア基準を記述した内容から抜け出すことはありませんでした.

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